小学生に殺人の現場写真を見せる教師がいたそうです。写真はさまざまな感動を与えてくれる素晴らしいツールですが使い方を誤ると人生をも狂わせてしまう危険なものです。Twitterで面白半分にコラボとかやってる人は面白さのインパクトはわかっていても恐怖のインパクトはわかっていなさそうで怖いです。
写真の影響力
たかが写真です。映像です。実物ではありません。でも写真の影響力はとても大きいです。同じ写真でも見る人によって受けとるインパクトは全く違います。それは見る人の経験や知識、想像力によって変わります。あなたと同じ感覚の人はいません。画像データとしは同一の情報であっても、その写真から受ける影響は人によって違うわけです。
遺体の写真を見た人が受けるインパクトも同じです。それを見た人が持つ知識や経験、想像力によって精神的なダメージがとても大きなものになることがあります。2、3日ご飯が食べられないなんて程度では済まないかもしれません。一生引きずるトラウマとなって生涯に影響を与えるかもしれません。
写真は想像力を超えた情報を与える
写真などの映像を記録する装置が無ければ、人が視覚から得る情報はリアルに目の前に存在する世界のみになります。実体験から得る映像は、その意味が理解しやすい状況にあります。目の前に遺体があったとしても、なぜ遺体があるのかわかります。突然目の前に遺体が出現することなどないですから。お葬式に行ったとか、臨終に立ち会ったとか、状況から目の前の出来事が理解できれば頭は混乱しません。
写真は突然、人に状況を見せつけます。写真に描かれている状況が見慣れないものの場合、頭の理解が及ばないとパニックになります。このパニックの起点は人によって異なります。これを理解してない人が衝撃的な写真を扱った場合、写真を見せられた人が気絶したなんてトラブルがおこるわけです。裁判員が現場写真を見て気分を悪くした件もありますね。
非現実なら消化できる
想像力を超える映像でも、それが作り物つまり非現実のものとわかっていればインパクトは少なくてすみます。映画で宇宙人やゾンビが出てきても「あれは作り物」という意識が働くおかげてトラウマにはなりません。そうでなければ「進撃の巨人」なんて怖くて見れません。
目の前に本物の宇宙人やゾンビが現れたらどうでしょう。こちらに危害を加えなくてもそれが「現実」というだけで恐怖感が一気に高まります。問題は現実か非現実かで大きく変わります。現実として捉えるかどうかの違いといってもいいでしょう。
東日本大震災の写真を見て受けるインパクトも人によってまったく違うでしょう。現場から遠い地域の人にとっては非現実な感覚が働くため映像を直視できます。公で見られる映像は現実の残酷な場面は取り除かれているからなおさらです。それが現実と知っている現場にいた人はどうでしょうか。直視できない人もいると思います。
子供が見せられた写真は現実か?
小学生が殺害現場の写真を現実の出来事として受け止めてしまった場合のインパクトはどうでしょう。中には現実の出来事として捉えられずに受け流す子供もいるかもしれません。でもこんなひどい事をする人間がいる現実を受け入れてしまったら…
子供の脳で社会情勢を鑑みた判断なんてできないでしょう。恐怖が先走って人間不信になってもおかしくありません。
もしも子供がニュースや親の話から、これが現実の出来事として強い心象を植え付けられていたら写真のインパクトは大きかったでしょうね。一生消えない傷を負ってないことを祈ります。
さいごに
写真から受ける影響はとても大きいです。残酷な写真の取り扱いには注意してほしいものです。
私は仕事として見ざるをえない立場にいたのでたいていの写真は大丈夫ですが、それでも考えてしまうことがありました。ほんと「進撃の巨人」じゃないけど世界は残酷ですよ。
興味本位で見るものじゃありません。まして子供に見せて良いものでもありません。
それではまた。