身近な人と夫婦別姓の話をしていると、文化、法律、家制度(というか氏)、アイデンティティー、性差別、書類などの表記、呼称、事務手続きなどなど、いろいろな問題に話が広がります。
夫婦別姓について議論するときは、これらの問題のどこまでを含んだ話をしているのか整理しないと話がなかなか噛み合いませんね。
いずれも名前の姓を別にすることから連想される問題なので切り離せるものではないけど、問題点は整理して議論しないと論点が飛躍して収拾がつかなくなります。
で、友人と議論していて感じたことを自分の考えをまとめるためにつらつら書いてみました。支離滅裂なところもあるかもしれませんが、書き続けているとキリがないのでアップします。
海外との比較
夫婦別姓の問題点を海外のルールと比較するケースも多い印象です。これ、本当に参考になるのか疑問です。
名前のルールには歴史的経緯が絡むけど、そのきっかけには文化と法律のありかたも影響していたりします。違う文化・歴史を持つ海外のルールと単純に比較できる問題ではないと思います。
例えば世界的に合理性が認められて個人からも評価されている制度があって、それを参考にしようというのなら話はわかります。しかし、単に夫婦同姓を否定する材料として外国のさまざまなルールを引き合いに出されてるケースもある印象です。
「そういうやりかたもあるよね。夫婦同姓じなくても大丈夫だよね。」くらいの参考として考えないといけないかなと思います。
歴史的経緯とか
日本の姓の話になると歴史的経緯もよく出てきます。江戸時代はとか明治時代にとか。これもあまり関係ないんじゃないかなと思います。姓の歴史は短くても今の人にはあって当然のものです。
今の問題を解決するなら現状を把握して、これからどうするかって話を進めればいいかと。
歴史的に見れば家制度の風習(と言って良いのかよくわからないけど)が残っている問題や、宗教的(お墓とか)問題などもあります。姓と氏の問題はややこしいです。
別姓にする問題は、姓は何を名乗るか、だけでなく、どの家に属するのかも連動した問題です。
現状でも姓は選択できるけど、男に合わせるのが当たり前みたいな風習が残ってたりしますよね。
法的に夫婦別姓を認めるだけでは解決できない問題もありそうです。この辺は時間がかかりそうです。
同姓で家族の絆が保たれる件
これは夫婦同姓の問題と少し離れて考えてみたほうがいいんじゃないかなぁ。
夫婦別姓を認められてる国でも親の名前の一部を子供に受け継いだりしますよね。名前の一部が同じことで共同体の意識が強くなるとはあると思うんです。
孫悟空の子供は孫悟飯、孫悟天です。これ、全然違う名前になったら「誰?」ってなります。
なので、たまに聞く「同姓なら家族の絆が強くなるなんてありえない」という意見には少々違和感を感じます。名前の一部が同じなら絆を感じるものではないでしょうか。
だからといって、別姓は絆が薄れるとも思いません。姓が違う親戚にも絆を感じることはあります。血縁でなくても生活を共にしていれば絆は感じます。友人にだって感じることもあります。
どっちもアリだと思います。同姓を強制して良い理由にはならないと思います。
アイデンティティー
姓が変わることによってアイデンティティーが失われたり、傷つけられたりすることはあると思います。
まったく影響を受けないと考える人もいますけど。というか、むしろ好きな人の苗字に変わることを喜びとする人もいますよね。これ、まさに繋がりを強く感じられる喜びだと思います。
アイデンティティーの話をしていると、名前の持つ影響力の大きさを感じます。
姓が強制的に変えられることによってアイデンティティーが傷つくという人がいるのなら、別姓が使える制度は必要でしょう。
というか、この問題は憲法第13条の基本的人権に反しているような気もします。憲法で一番大事なところなんですけど。
憲法第13条には「すべての国民は、個人として尊重される」と書かれています。条件として「公共の福祉に反しない限り」とも書かれていますが、夫婦別姓が公共の福祉に反するとは思えません。もっとも「公共の福祉」の考え方はややこしいのでうまく説明できませんが。
名前は、個人の「個」を位置づける重要な要素だと思います。これを強制的に変えてしまうのは「個人として尊重」していると言えないんじゃないかなと。
「個人として尊重される」のならば、別姓を強要された人が受けるアイデンティティーの喪失感も無視できないと思います。
事務処理はマイナンバーでOK?
夫婦を別姓にすると事務処理が複雑になります。苗字が同一であれば家族として認識しやすいです。
安易な判断はトラブルのもとでもありますが。
夫婦別姓により事務処理が煩雑になる問題の解決策としてマイナンバーを使えばいいんじゃない?という話も聞きます。確かにマイナンバーなら個人の特定ができるので名前の影響は受けません。考え方としては賛成できる部分もありますが、ちょっと現実的ではないかなとも思います。
個人情報の利用には適切な利用範囲というものがあります。
名前は個人情報ですが、個人を特定するには不完全な情報です。同姓同名の人もいますから。病院のカルテが名前だけで管理されていたらえらいこっちゃです。なので個人情報は利用状況によって、名前だけで良い場合や、名前と性別と生年月日の組み合わせが必要になる場合があります。
しかし、不完全だからこそ必要以上に、不容易に特定されにくいという利点もあります。その分管理の負担も減ります。マイナンバーを使う場合、管理義務の負担も増えます。必要以上に。
税金とは関係ない業務にも税金を扱う業務と同じレベルの管理体制が必要です。セキュリティリスクも高まります。普通郵便で済む業務が書留でなければいけなくなるかもしれません。
特定個人情報は上手に利用すれば便利なものですが、便利だからといって利用の範囲を広げるのは限界があると思うんです。
利用の範囲をどこまで広げるかという問題もありますが、個人情報の流出が止まらないご時世にセキュリティリスクが高まる方法は、管理側のコストや業務負担が増えるのも目に見えています。
番号のみでの運用も難しいと思うので、結局、名前を併用するケースが残ると思います。もしそうなったら、マイナンバーを使えば良い理論は総括的な解決策にはならないんじゃないかなと。
一部の利用範囲では効果があると思いますが、マイナンバーって、まだ実運用の実績がないんですよねぇ。どこまで使えるものなのか本当のところはわかりません。私には。
お墓の名前
別姓になったらお墓はどうなるんでしょう。そもそも墓の仕組みも時代に合わなくなってきた気もしますが。
若い人はイメージしにくいかもしれませんが、死んだあとのことを考えるとお墓の問題は結構悩みます。
「◯◯家の墓」というスタイルのお墓は終わるのかもしれませんね。別姓になったらお墓には何て書くのかな。親の墓に入らないのなら自分で用意しないといけませんね。でも死んだあとは誰が管理するのでしょう。
人はいつ死ぬのかわかりません。
別姓が始まるまえに死後のことも考えないといけませんね。
骨を森や海に撒くケースもあるようです。自然葬というんですね。骨はそれでも墓はどうすんでしょう。別姓にしたいのなら、このあたりの問題も一緒に考えないと残された人が困りそうです。
この辺で氏の問題が絡んでくるんだろうなぁ…
子供がイジメられる?
姓が違うと子供がイジメられるかもしれないと心配する人もいます。
でも別姓が多勢になれば、今度は同姓がイジメの対象になりそうです。考えてもキリがありません。
イジメられるかも。の視点がちょっとズレてるような気もします。多様性を受け入れられないから、自分と違う人をイジメの対象にすることが問題なわけであって、別姓は根本的な問題ではないと思います。別姓を受け入れられる社会を作る努力が必要なんじゃないかな。
理想論で片付けられない問題かもしれませんが、逃げても解決しないと思います。
子供の姓はどうする?
イジメの問題とは別に、子供の姓はどうしたら良いのかも悩みどころです。子供に選ばせるという考えもありますね。
物事の分別がつく年齢(18歳か20歳くらい?)になってから選ばせる方法は面白いとは思います。それまではどうするのかわかりませんけど。どうするの?両親のどちらかの姓を名乗るのでしょうか。その際にも問題が起こりそうですが。
姓を選択できる年齢までは父親の姓だったとして、子供が母親の姓を選択したらお父さんはへこむでしょうね。ここでも問題が起こりそうな気がします。
子供は板挟みになったりしないか心配です。
選択の自由があることはいいように見えますが、責任も背負わなければいけません。その責任を子供に背負わせるのもかわいそうです。
子供に負担にならない方法があると良いです。私には思いつきません…
さいごに
夫婦別姓は良いと思います。選べる自由は必要だと思うんです。
今までと違うことをすれば問題も起きると思います。同姓にしても別姓にしても何かしら問題はあります。
何て読むのかさっぱりわからないキラキラネームを子供に付ける世代の判断にも興味があります。
時代の変化はおもしろいです。万人が納得するようにはならないかと思いますが、同姓の強要でイヤな想いをする人が減ると良いと思います。
それではまた。