雑記

父が残したモノに感動と悔しさを感じた話

投稿日:2016年1月4日 更新日:

正月に実家に帰って、久しぶりに母親と話をした。そこで初めて親父が私の友人の家を建てたのだと知って驚いた。いま思えば父はすごい人間だった。たぶん、私なんかじゃ絶対に敵わない人だ。

※この記事はただの父親自慢記事です



大工

私の父親は大工だった。「だった」というのは父親がもう亡くなっているから。生前も父が携わった仕事の話は聞いていた。

今回、母親から私の友人の家を建てたのも父親だったと聞かされて「へぇ…てか、なんでもっと早く教えてくれないの?それ、子供の頃のことじゃん」なんて思っていた。

もっとも、他の家の話をされたらピンとこないわけで、◯◯さんの家を建てたとか、知らない名前が出てきても「ふーん…」ってなる。普段の仕事ぶりもよくわからない。まあそんなものだ。

それでも父親に対して『この人には絶対敵わない』と思ったことがある。圧倒的な力を見せつけられたことがある。

神棚

私が小学生の頃のこと。父は親戚から頼まれて棚を造っていた。どうやら釘を使わずに作るらしい。接着剤も使わない。

板に彫った溝に、別の板を噛み合わせて静かに木槌で叩きながら棚を組み上げて行く。そして完成した棚を見せてもらった。

板の継ぎ目は木目でわかる。しかし段差や隙間がまったくない。組み合わせてからカンナをあてたわけではない。目の前で見ていたので間違いない。

正直、何だこりゃ?と思った。少し震えた。感動した。そして父は言った。

「釘も接着剤も使ってないから分解してみな」

木槌を叩く様子は見ていた。力強く打ち付けていたわけではない。静かにトントンと叩いていただけだ。私は簡単に分解できると思った。

外れない

力いっぱい板を外そうとした。

やっぱり外れない

父親は言った。

「それは大人でも外れないよ」

ちょっと自慢げな父を見て、素直に尊敬した。すげぇと思った。

小学生といえど、小遣いやお年玉はすべてプラモデルにつぎ込む模型少年だった私には、その精度の高さは十分に理解できた。

しかし父の本当の力を思い知ったのは、もっとあとのこと。

それは父の葬式のときだった。

客人

父の葬儀は簡素な家族葬だった。身近な親戚とご近所の人だけが参列する質素なものだ。かつての仕事仲間もすでに他界した人が多く、それはもう地味で静かに式は営まれた。

葬儀の中、見知らぬ老人の来客があった。

「花を贈らせてください」と言うそのひとへ、葬儀の案内は出していなかった。というか、みんなそのひとが誰だか知らない。そのひとは、たまたま近くを通りかかり、父の葬儀を知ったらしい。私の実家から少し離れたところに住んでいる同じ町内のひとだった。

「立派な家を建ててもらって感謝しています」と言った。

住所を聞いた母が「ああ、あのお宅の…」と、父がその家の改築をしたことを思い出した。そう。私たちにとってはお客さんのひとりだ。

私はそのひとを見て呆然とした。

お客さんが、花を贈らせてくださいと、わざわざ足を運んでくれたのだ。そして遺族に感謝のことばを告げた。

父親は死んだあとでも感謝される人だった。わざわざ葬儀に駆けつけてくれて、花と感謝の言葉をいただける仕事をした人だった。

社長でもない著名人でもない父に、そんなことがあるのか?と思った。夢のようだった。

そして、自分はどうだろう?と考えた。

それと同時に、生前に「あなたを尊敬している」と、伝えられなかったことを悔んだ。

言葉

生前に父から言われた言葉がある。ときどき思い出しては悔しい思いをしている。

私は大工の父親に似たせいか、モノ作りが好きだ。子供の頃から父親の道具を借りて、キテレツ君を目指してたくさんのガラクタを作ってきた。そんな私が何かを作っているときに、背中越しに父が言った言葉。

それはモノになるのか?

モノってなんだろう。

きっと、父が言った「モノ」は「物」じゃない。

人を感動させるような、死んだあとでも感謝されるような、そういうモノなんだと思う。そういう意味なんだと思う。

父よ、あなたは間違いなくモノを作った。

自分には作れるだろうか?

子供に尊敬されるほどのモノを。

自分が死んだときに、感謝の言葉がいただけるほどのモノを。

さいごに

父は小学校を出てすぐに丁稚奉公に出た人だ。だから数学なんて知らない。それなのに、精巧な螺旋階段を造る技術に定評があった。均等な段差や角度を図面通りに、かつ隙間なく造るのは難しい。

その技術は市内でも知られていたらしく、なんともおかしな話だが、階段部分だけの作業依頼が、他の工務店から来たことがある。

どんだけすごいんだよ。あなたは。

そんな父が建てた家で友人は育った。それを知ってなんだか嬉しかった。そして自分を振り返り、悔しい思いでいっぱいになった。

いつかモノが作れたら…きっと私も父のモノになるだろう。

それではまた。

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ケンちです。約20年ほど写真業界にいました。いまはIT系企業で主にITとは関係ない仕事をしている普通の人です。Twitterによく出没しています。