デジタルカメラでRAW現像や画像補正を楽しむ人が増えていますね。
フィルムの時代は色はラボまかせでした。私はまかされる立場でした。
ブログなどで現像や補正のテクニックを紹介している記事を読むと「ムフフ」と思ったり「あ…」と思ったり。
なんかおもしろいなぁと思う一方で、私も何か語りたいなと。ということで、現像や補正についてちょっと思うことを書きます。
正しい色と良い色
色には「正しい色」と「良い色」があります。
「正しい色」が「良い色」とは限らないし、「良い色」が「正しい色」とも限りません。
この2つは優劣を付けるものではないけれど、違う概念なので意識しておくことは大事だと思います。
プロの場合「正しい色」の認識はとても重要です。「正しい色」を知らずに「良い色」を語るのはナンセンスです。
「正しい色」は論理的に説明ができる色です。論理的に説明できるしっかりとした基盤があってこそ「良い色」の表現が可能になります。
アマチュアでも「正しい色」の概念を理解することが「良い色」への近道になると思います。
厄介なのは「良い色」の評価基準が「感覚である」ということです。自分が良いと思えば「良い色」なわけです。感覚的な評価に理論の入り込む余地はありません。(少ないと言ったほうが正しいかな)
だからこそ、まずは「正しい色」を意識することが大事になります。
「正しい色」とは地図のようなものです。正しい地図があってこそ、安心して冒険ができます。地図を持たずに冒険するのもスリリングで楽しそうですが、ふと気がつくと何が良い色なのか、補正を加えている過程で迷子になります。
もちろん、正しい色を知らなければダメ!という話ではありません。自由に気ままに冒険してもいいでしょう。
ただ、ヘタウマな絵でウケている人がヘタな絵しか描けないのと、上手な絵が描けたうえでヘタな絵を描くのとでは大きな違いがあります。抽象画で有名なピカソもリアルな絵は描けます。基礎があってこその応用です。(例えが大きすぎるか?)
正しい色の考え方
正しい色とはなんでしょう。
プロレベルで考えた場合、機材を揃えなければ得られない答えです。モニターのキャリブレーションも必須になります。
個人的に写真を楽しむ場合、そこまで追求しなくても良いと思います。なので、ここでは写真を趣味で楽しんでいる人向けに、簡単な考え方の話をします。
ここで言う正しい色とは、リアルな色のことです。自然の色と言ってもいいでしょう。あくまでも人の目が感じる標準的な色を差してます。
人間の目が感じる光の波長と、カメラが捉える光の波長は違います。
カメラは人間の目では見えない光の波長を捉えます。そして正直にその波長を記録します。これがRAWデータです。RAWデータを人間の目で認識できる画像に変換する処理を「現像」と呼びます。
人間は目が捉えた光の波長を脳が即座に補正を加えてしまいます。この自動補正機能はとても優れています。そして自動補正を解除することができません。
カメラの特性と人間の脳の特性、どちらも優れていますが、どちらも厄介です。
よく考えてみると、カメラも人間の脳も、自然の色を記録することができないからです。
RAWデータは、あくまでもデータです。RAWデータは数字の羅列でしかないんです。現像処理をしなければ目に見える画像になりません。しかも人の目には捕らえられない光の情報まで含まれています。
人間の脳は自動的に画像補正を加えてしまいます。しかも脳に記憶される色は現実の色よりも鮮やかに補正される習性があります。(記憶色といいます)
したがって、正しい色を再現するために、論理的な思考が必要になります。
先にも書きましたが、難しい考え方は抜きで軽くいきましょう。
練習
もっとも簡単な正しい色の判断方法は、画像を現実の場所で見て比較することです。同じ季節、同じ時間、同じ天候。これら撮影時と同じ条件、状況が揃っていたら、撮影した場所で画像と実際の状況とを比較して見ます。
この方法は、身近なモノや近所の風景を撮影して、正しい色の再現の練習をするのに良いと思います。機材や自分の補正のクセに気づくこともあります。
この場合、グレーのものが写っていると色の隔たりの判断がしやすいです。無彩色のグレーは、わずかな色の変化がわかりやすいです。濃度的には20%くらいのグレーがわかりやすくて良いと思います。身近なものでは道路のアスファルトが近いかも。現像・補正した色と実際の色の違いに驚くかもしれません。
実践
論理的に「正しい色」を再現する場合は理屈で補正を加えます。
プロが一般客のプリントをする場合、この方法で色を出すケースが多いと思います。撮影時の場所に行くことはできませんから。
画像の撮影状況からさまざまな想定をします。
季節、時間、天候から色温度を想定します。
夏の昼下がり、雲がなければ青空の影響で色温度は高くなり、世界はやや青みがかって見えます。色の影響を受けやすいアスファルトの色も青みがかります。夕暮れ時なら夕日の影響で色温度は下がり、世界は赤茶に染まります。
この辺はなんとなくイメージできると思います。
天候が悪く雲がかかっていると、昼間でも青みはありません。これは夕暮れ時でも同じです。
人の服装やモノの影の強さでも季節、時間、天候の判断ができます。
夏服で黒く濃い影が短く写っていれば、真夏の昼間と想定できます。この場合の色調も想像できますよね。
ラボのプリントオペレーターは、こういった撮影状況から「正しい色」を判断して、かつ記憶色を想定して色調の補正をします。(しない人もいるだろうけど)
ここではわかりやすい例で例えましたが、理屈はこんな感じです。この理屈を感覚的に理解できれば、さまざまな応用ができます。タングステン光やフラッシュで撮影した状況の画像でも、なぜその色調なのか、論理的に説明ができるようになります。
全体的な色調だけでなく、主題となる被写体の色調にも根拠をもたせると、説得力のある画像になると思います。
表現者としての現像と補正
正しい色というのは、模範的な回答とも言えます。
模範的な回答はおもしろみに欠けます。記録写真ならいいんですけどね。
ときおり「写真の補正は邪道だ」という意見を聞きますが、私は補正こそが王道だと思っています。
そもそも人間の脳が記憶している色には記憶色という補正がかかっているのですから、補正をしないというのは無理なんです。補正されてない色は存在しないと言ってもいいでしょう。
写真とは表現の手段でもあります。自分が見せたい画像を作り上げて、独自の世界感を表現する人が増えたら、写真の世界はもっとおもしろくなります。
ただし、表現者は、なぜその色にしたのか、自分で理解しなければいけません。
「こうしなければいけない」という話はあまり好きではないのですが、自由という名の無秩序に慣れてしまうと、いつか自分を見失います。自分はなにがしたかったんだけ?みたいな迷路に迷い込みます。
なによりも、自分なりの表現の根拠を持って補正をすれば、誰にも口出しされない、口出しされても撥ね退けられる作品ができます。
そこまでの自分を確立できたら「写真家」と名乗ってもいいのかもしれません。
さいごに
なにが言いたいのかというと
いきなり表現したい色にするのではなく、一旦正しい色を意識して、起点を設けてから表現したい色に変えた方が、芯のある表現になるのかなぁと。
まあ、写真は楽しければいいんですけど。
写真の質を高めたい人は「正しい色」と「良い色」をきちんと区別して、うまく使いこなせるといいのかなと思います。
その色に補正した根拠はなんでしょう?
自分が良いと思ったから?
みんなが認めてくれると思ったから?
基準はいろいろありますね。どれが正解でどれがダメという話ではありません。
「なんとなく良いと思ったから」でもいいんです。そこで、どんなところがナゼ良いと思ったのかを意識すれば「なんとなく」が「こうだから」と自信を持って言えるようになると思います。
自分の色作りに自信が持てたら、写真がもっと楽しくなるんじゃないかな。
それではまた。