小さなこどもは、大人には見ないモノが見えるという話を聞いたことはありませんか?となりのトトロも子供にだけ見えましたよね。
『子供にだけ見える』
これ、体験するとチョット驚きます。
家の中に猿がいる
息子が3歳になる前だったと思います。
ある日曜日の午後、息子と二人で部屋で遊んでいました。
部屋の中央にオモチャを広げて、買い物に出掛けた妻が帰るまで、息子と想像力を競い合うかのように一緒に夢中で遊んでいました。
いろいろなオモチャを組み合わせながら、新しい遊びを作り出します。遊びながら、次は何をしようか考えながら、楽しい時間がぐんぐん過ぎて行きます。
しばらくすると、息子の動きがゆっくり止まりました。
そう、ゆっくりと、『あれ?』っと、何かに気付いたように。
さっきまで遊びに夢中で興奮していた表情が少し落ち着きました。
・
部屋のすみを見つめます。
そこには何もありません。
何も無い部屋のすみを見つめています。
・
私は『ああ、見えているな』と思いました。
息子の表情がおだやかだったので、怖いモノではないようです。
私は息子に問いかけました。
「あそこに何かいるの?」
「うん」
「何かなぁ?」
「お猿さん。キャッキャ。」
「そう。お猿さんがいるんだ?怖くない?」
「うん」
どうやら部屋のすみに猿がいるようです。ただ黙って座っているだけのようでした。私もなんとか見えないものかとジッと目を凝らしてみましたが、残念ながら見えませんでした。
息子がまたオモチャで遊び始めました。
どうやら猿は消えてしまったようです。
深く追求すると怖がるかもしれないので、私はそれ以上何も聞かずに一緒に遊びました。
危害を加えるモノでなければ何がいてもかまいません。
私は自分に見えなかったのが残念で、ときどき部屋のすみを見ましたが、やっぱり何も見えませんでした。
震える子供
お猿さんを(息子が)見てから半年もたたないある日。
その日も息子と二人で留守番をしながら遊んでいました。
一緒に遊んでいると、息子が私に抱きついてきました。
視線は部屋の椅子の上。
しかし今回は見つめるのではなく、視線をそらしました。
表情もおだやかではありません。少し震えているようです。
『これは怖いヤツだな』と思いました。
息子を両腕で包むように、守るように抱いて、静かに椅子から遠ざかりました。
「父さんが一緒だから大丈夫だよ。何か怖いのがいるの?」
「ヤギ。くろいの。たくさん。」
『ヤギ?』
どうやら黒くて小さいヤギがたくさんいるらしい。
今度もジ〜ッと見てみましたが、やっぱり私には見えません。
目をそらしていた息子の視線が廊下から玄関へ向かいました。
「ヤギは出ていったの?」
黙ってうなずく息子。
「父さん一緒だから、大丈夫だから、外に見にいってみようか?」
「うん」
息子の表情はすっかり落ち着いていました。抱っこで安心したようです。私は息子を抱いたまま玄関をでました。
「どっちに行ったのかな?」と聞くと、東の空をゆび指しました。
「飛んで行っちゃた?」
「うん」
息子は空を見つめながらうなずきました。
黒い小さなヤギの群れは東の空へ飛んで行ったようです。
また見れなかった。残念。
でも怖いヤツはもう来てほしくないな。
子供にだけ見えるヤツだね
それから何日かたったある日。
今度は妻もいる日です。
息子がベランダをジッと見ています。
そこには何もありません。
『また何か見えているのかな』
そう思っていると、妻が言いました。
「何か見えているんだね。子供にだけみえるヤツだね。」
『え?』
そうか。私よりも息子と二人きりの時間が多い妻は、もっとたくさん同じような体験をしているのかもしれない。
でも、『子供にだけみえるヤツ』と言っている。つまり大人には見えないようです。
う〜ん、残念。
怖いのは見たくないけどね。
見えていることを認める
同じような体験をした人はどれだけいるでしょうね?
存在しないモノが見える事を『幻視』といいます。インフルエンザなどの高熱が原因で見えることがあるそうですが、幸い息子は発熱していませんでした。なので高熱による幻視ではありません。
その後は『子供にだけ見える』モノは表れませんでした。いや、いるけど見えなくなっただけかもしれません。
もしも、あなたの子供が同じように『子供にだけ見えるモノ』を見つけたらどうしますか?否定しますか?
できれば『そんなものあるわけない』と否定せずに、見えていることを認めてあげてほしいです。反対の立場だったら悲しいし、怖いでしょ?
見えなくても、見えていることを認めてあげれば、子供は安心すると思います。
それにしても、できれば一度は見たかったなぁ…
残念!