親心はなかなか理解されないものです。
特に他人に向ける親心は。
余計なことを言うなと、怒られてしまったりしますから。
オモチャのプレゼント
私が勤めていた写真屋では、お子さんを連れたお客様にオモチャのプレゼントをしていました。
ひとつ100円もしない安いオモチャだけれど、子供たちはみんな喜んでくれました。
お子様ランチに付いているオモチャもきっと安いものだろうけれど、こういった思いがけないプレゼントは嬉しいものでしょう。
まして写真屋なんて、子供にとっては何もおもしろいモノが無いお店ですからね。そこで「好きなものをどうぞ」って、カゴいっぱいオモチャを出されたら喜ばない子供のほうが少ないです。
女の子や男の子たちはみんな目をキラキラさせて、カゴの中からお気に入りのオモチャを手に取り、はにかんだ表情で「ありがとう」と言ってくれました。
そんな子供たちの笑顔が嬉しくて、季節ごとにオモチャの種類を変えて、このサービスを続けていました。
特に夏のオモチャの水風船と水鉄砲は人気がありました。
「帰ったら遊ぼうね」という母親のそばで、オモチャを握りしめて跳ねるように歩く子供の姿が微笑ましかったです。
そのオモチャはいりません
カゴの中には夏のオモチャがいっぱいのある日。
小さな男の子を連れたお母さんが来店されました。
いつものようにカゴを差し出して「好きなのをどうぞ」と言いました。
男の子は嬉しそうにしながらも、なかなか決められない様子でした。
「水鉄砲はどうかな?」と聞くと、側にいた母親が「それはいりません」と言いました。
「うちは鉄砲のオモチャでは遊ばせないんです」
おお、なるほど…
鉄砲は人を殺す道具ですからね。こういうオモチャに抵抗を感じる人もいるでしょう。例え水鉄砲でも、鉄砲は鉄砲です。
子どもにどのようなオモチャを与えるのかは親が決めること。家庭の教育方針や倫理観、宗教観などでその選択肢は変わります。他人がとやかく言うことではありません。
男の子は他のオモチャを選びました。
「ありがとうございます」
小学校低学年とは思えないほど、しっかりした口調で丁寧にお礼を言ってくれました。
納得できなくても良いのかも
世間一般の基準に流されずに、きちんと考えて、子どものために教育上好ましくないオモチャは与えない。こう考える親がいる一方で、オモチャくらい子どもの好きなものを選ばせてあげてもいいのに、と考える親もいます。
どちらも子どものことを考えています。どちらが正解でどちらが間違いというものではありません。
人は、脳が形成されて、社会経験を積んで、歴史から善悪を学び、最良の判断を模索します。大人でも難しい判断です。小さな子どもにはなおのこと。親が正しいと思う方向へ子どもを導くことは間違いではないでしょう。
子どもが大事だからこそ、あれはダメ!これはダメ!と規制してしまうものです。
そしてその「正しい判断」は自分の子どもだけでなく、他人の子どもに向けることもあります。他人の子どもを叱る大人は少ないかもしれないけれど「こういうのは子どもに良くない」と発言することは比較的容易にできます。まあこういった発言はネットでは反感を買うようですけれど。
何が正しいか、正しくないか、その議論は大いに結構だけれど、子どもの権利を抑制する発言には本気で子どもを心配する「親心」が隠れている気がします。
なので、鉄砲は「人殺しの道具」というイメージがあると、子どもに持たせたくないと感じてしまう親の気持ちもわかります。銃社会に反対の人も多いでしょう。子どもが人殺しの道具で遊ぶ姿に嫌悪感を抱いても不思議ではありません。
一方で、遊びと割り切って鉄砲を受け入れる人も多いです。輪ゴムを飛ばす割り箸鉄砲の工作を楽しむ人もいます。オリンピックの競技種目にも射撃というものがあります。
不適切という考え
適切という考え
どちらの考えも尊重されるべきです。最終的には分別のつく頃に子ども自身の判断に任せるのが良いと思います。それまでは大人が上手にコントロールしてあげなければいけないと思います。
自分の理解とは違う考えに納得することはできませんが、これは納得が必要な問題ではないのでしょう。
自分とは違う考え方が世の中にはたくさんあるし、自分の考えが最適かどうかもわかりませんから。
さいごに
何が、どこまでが子どもに不適切なのか、その判断は難しいです。
みんなが納得する答えはないのかもしれません。
意見が衝突したときは、意見の内容をよく考えてみたいものです。
間違っても、「そんなことを言うおまえはおかしい」などと、相手を中傷することだけはしないように気をつけたいものです。
ジャンプの扉絵の問題では、そんな発言も見たので残念な気持ちになりました。
ひとつの物事に違う考えが複数あったら、お互いの本意を理解しあって、落としどころを探るのが大切なんじゃないかなと思います。
表現の自由も大切ですが、子どもたちを心配する親の気持ちも大切にしたいです。
それではまた。