子供が生まれてから、クリスマスに憂鬱を感じる出来事が続いている。
相手の人は親切のつもりなのだろうけれど、その人のおかげで我が家のクリスマスは毎年、微妙なムードになる。
クリスマスといえばケーキ
クリスマスにはケーキが付き物だ。
多くの家庭で、特に子供がいる家庭ならなおのこと、クリスマスにはケーキを食べる。
我が家でもケーキを食べる。
けれど、このケーキがくせものだ。
実は、我が家ではクリスマスにケーキを買ったことがない。
なぜなら、近所のご婦人がクリスマスケーキを毎年プレゼントしてくれるからだ。
それも特大のサイズを。
味が微妙なものを。
よろこびの機会が失われた
それは我が家に子供が生まれた年から始まった。
近所のあるご婦人が毎年、毎年、クリスマスケーキをプレゼントしてくれるようになった。息子を気に入っているかららしい。
名目は『子どもへのプレゼント』といったところだ。
毎年毎年毎年毎年…
うわーーーーー!!!!
…
いただきものを断るわけにもいかず、毎年受け取っている。
「いつもありがとうございます」と言いながら受け取っている。
これが苦痛だ。
特大のケーキは捨てるわけにもいない。
ナマモノだから早めに食べる。
量が多いから苦しい。
味も…我が家では絶対に買わないタイプの味だ。
グルメを気取るつもりはないけれど、さすがにこのタイプのケーキは選ばない。というレベルのものだ。
いや、はっきり言おう!
ぜんぜんおいしくない!!
この、おいしくないケーキを大量に食べなければいけない。
キツイ。
めっちゃキツイ。
味がアレがケーキを大量に食べると気持ち悪くなる。
このおかげでしばらくケーキは食べたくなくなる。
結果的に我が家では、自分たちでケーキを買う機会が失われた。
子供と一緒にケーキを選び、買い、「おいしいね」とよろこび合う機会が失われた。
親切は誰のため?
この苦痛に我慢できず、ある年「もう結構です」とお断りしたことがある。
返ってきた答えは
「もらっておけばいいんだよ!」
そして言葉と同時にケーキを突き渡した。
強引に渡されたケーキは、捨てたかったけれど、子供に説明ができない。
結局のところ、そのご婦人は、自分がやりたいからやっているだけなのだ。こちらの事情など気にもしていないのだろう。まさに『親切の押し売り』というやつだ。
プレゼントというのは、あげれば誰もが無条件で喜ぶものではない。こちらが断わっているのに無理やり渡すのは、もう異常と言ってもいいだろう。
しかし困ったことに『親切』や『気遣い』というのは、与える側の価値観で、受ける側の常識を否定されてしまうことがある。
第三者でさえ「黙ってもらっておけばいいのに」などと言う人がいる。
もらって、どうする?
子供にはなんて説明する?
「ケーキおいしかった?」と、聞かれるかもしれないのに。
もらった以上は食べないわけにはいかないのだよ。
『親切』や『気遣い』は、相手の感謝が生まれることで、はじめて成立する行為ではないのか?
自分勝手な『親切』のおかげで、我が家のクリスマスは毎年、毎年「また来ちゃったよ…」という困り顔をしている。
さいごに
うちの息子が覚えているクリスマスケーキの味は、あのおいしくないケーキの味だ。
そのご婦人のおかげで、我が家のクリスマスというイベントは台無しにされた。
そして、息子が社会人になってはじめての今年のクリスマス。
『子どもへのプレゼント』という名目が失われた。
今年はどうなるのだろうと思っていた矢先、さきほど例のご婦人がクリスマスケーキを持ってきてこう言った。
「お歳暮ということで」
うわーーーーー!!!!