20年ほど前に某駅前の写真屋に勤務していた頃のはなし。
何気ないの朝のできごと。
開店準備
駅前の写真屋は路面店やテナントよりも朝が早い。
私が勤務していた店も、電車通勤の客に合わせて朝7時から店を開けていた。開店準備のために6時30分頃には出勤する。
現像機の準備や店の前の掃除などをしていると「夕方取りに来るから!」と、引換券も受け取らずにフィルムを置いて電車に駆け込む常連客もいる。
※駆け込み乗車はやめましょう
「証明写真お願いします」と、朝の7時に来るお客。もう少し早く準備しようよ。急かされてもポラロイドでも撮影からお渡しまで5分はかかるよ。「あ〜遅刻しちゃう!」と言われても…
早朝から慌ただしいのは利用客が多い駅だから。
朝の駅前はドラマチックで面白い。
駅前のロータリーにたたずむ女性
ある冬の朝、いつものように店の前を掃除していると、見慣れない女性がロータリーの片隅に立っていた。寒そうに缶コーヒーを飲みながら。
少し違和感を感じた。
誰かと待ち合わせるには目立たない場所だし、早朝から缶コーヒーを飲みながら人を待つ女性をその駅で見たことはなかったからだ。
気がつくと客待ちのタクシーのドライバーと談笑していた。どうやらタクシーのドライバーたちはみんな彼女のことを知っている風だった。
ちなみに、この駅前付近には繁華街や風俗店はなく、居酒屋が数件ある程度。彼女の服装からもホステスなどには見えなかった。
私は不思議に感じながらも掃除を続けていたが、視線はときどき彼女に向いていた。向いてしまっていた。
彼女はこちらの視線に気付いたようだ。
笑顔で歩いて近づいて来た。
あいさつしたら笑われた
「おはよう。今日も寒いね!」と笑顔で挨拶する彼女。
初対面なのに馴れ馴れしい。と感じる人もいるかもしれない。でも私はこういうタイプの人が好きだ。お客さまからも友達のように声をかけられると嬉しい。
「おはようございます。寒いですね。」と笑顔で返す私。
開店前なので少しだけ会話を交わした。他愛のない会話だ。
掃除を終えて店に入ると、店内の準備をしていた同僚がにやけ顔でこう言った。
同僚「なに挨拶してるんですか」
え?
意味がわからなかった。まるで彼女に挨拶するのがおかしいような口ぶりだ。
同僚「あの人、コールガールですよ。あちこちの駅をまわっていて、ここにも半年くらい前に出没してました。駅前で客をみつけて近くのホテルに行くんですよ。タクシーの人もみんな知ってますよ。」
へぇ…
コールガールと認定された人に逢ったのは初めてだった。
へぇ…
コールガールの業務内容を頭の中にイメージしてみた。
へぇ…
外で缶コーヒーを片手にタクシードライバーと談笑している彼女を改めて見た。
へぇ…
同僚の言葉の意味を考えてみた。
へぇ…
だいたい理解できた。
で?
私「彼女に挨拶するのはヘンなの?」
同僚「だって、コールガールですよ。朝から客を待ってるんですよ。」
ぜんぜん理解できなかった。
私には彼女をコールガール(というか娼婦)だと断定する情報が同僚の話だけだし、朝の他愛ない会話に相手の素性などいちいち考えない。
パン屋なら挨拶してもいいのか?パチンコ屋はどうか?
おまえはそんなに偉いのか?
どうやら同僚は彼女を見下しているようだ。
ウワサ話で人を見下すような物言いをする同僚の態度にがっかりした。
もしも同僚の言葉が真実であったとしても、彼女は人であり、人として朝の挨拶をしたにすぎない。拒絶する理由などない。
『おまえはそんなに偉いのか?』
そんな言葉が頭に浮かんだ。
さいごに
その日以降、彼女の姿を見ることはなかった
どこか別の街に行ったのかもしれないし、別の職業に就いているのかもしれない。
屈託のない人懐っこい彼女の笑顔は忘れない。
例えそれが営業スマイルだったとしても、同僚の醜いにやけ顔よりもはるかに素敵な笑顔だった。