雑記

「仕事を辞めても何とかなる」に感じる他人事感

投稿日:

仕事を苦に自殺する人がいる。いた。

どうしてそこまで追い込まれるのか…

で、そういった事件が起きると「仕事を辞めても何とかなるよ」と言う人がいる。

そうだよね、と思う一方で「なんとかなる」という言葉がちょっと引っかかる。



なんともならない

「なんとかなる」というセリフはいろいろな場面で使える。なんとも便利な言葉だ。

頑張ればなんとかなる。

あと1時間あればなんとかなる。

謝ればなんとかなる。

なんだってなんとかなる。

実際にはなんともならないこともあるので、あまり意味がない言葉のように思える。

「なんとかなる」根拠があって使うのだろうけれど、この言葉は他人事のように感じる。

なんとかしなければならないのは自分だ。

他人から「なんとかなる」といわれても、なんともならない。

大きな問題でなければ気休めに使うのは良いのだけれど。

なんとかなった。というか、なんとかした。

私が広告関係の会社に勤めていた頃の話。

月平均300時間勤務。朝9時から夜20時まで、都内を車で移動しながら営業をしていた。

一日中、車の中にいるので車の中が事務所のような状態。商品サンプルや発注伝票など、仕事に必要な道具をすべて車に載せていた。

自前の携帯電話(通信費も自前)にハンズフリーを付けて運転しながら商談をして、信号待ちで見積もりを書いて、コンビニでFAXを送る。そんな日々を送っていた。

納品や現場(広告看板の取り付けなど)の立会は深夜になることもある。駅の看板は終電が終わってから、デパートは閉店後に作業するから。ビッグサイトのイベントの掲出物なども宅配便が間に合わなければ自分で納品に行く。裏方が見られるのは面白いけれど、帰りは億劫。

帰宅時間は深夜1時過ぎがあたりまえ。睡眠時間は3時間くらい。それでも翌日はまた一日中、都内を運転してまわる。

いま思えばかなり異常な状態だった。電話代だって2万円くらい自前で払ってた。バカでしょ。

「なんとかしなければ」と思い立って辞める決心をした。理由は体力と精神力の限界。このままではいつか事故を起こしてしまうという心配が大きくなっていた。雇用の問題よりも交通事故のほうが心配だった。いろいろ見えてない。

仕事の内容はおもしろかった。自分が携わった広告が都内の有名デパートやビルの壁面に張り出される姿は感慨深いものがある。ビッグサイトで開催されているあの有名なイベントのパネルは自分が手がけたものだ。そういった感覚が仕事を面白く感じさせて、ムリを乗り越える原動力になっていた。

それでもムリなものはムリ。

上司に辞める意思を伝えたら異動になった。社内システムの部署だ。PCの操作に明るかったのが幸いした。

といっても、会社の体質に疑問を感じていたので、異動の三ヶ月後には退職した。

「なんとかなった」といえばなんとかなったのだけれど、営業を辞めようと思ってから退職を決心するまでは不安でいっぱいだった。

何度死のうかと思っただろう。

どうにもならない

先述の広告業の時代、仕事の電話代を毎月2万円払っていながら借金があった。会社に上納しながら自分は借金を抱えているというバカな状態だ。

クレジットカードや住宅ローンの借り入れがある場合、仕事を辞めたことがバレると全額を一括返済しなければならない。と考える人もいる。規約を読むとそんなことが書いてあったりする。私もそう思っていた。

金を貸してる側からすれば、滞りなく返済できてれば仕事を辞めていても関係ない。(担保が必要だろうから関係なくはないけれど)

失業保険の給付金からでも支払いができていれば、現実的には問題なくても、規約でそのように書くわけにもいかないからルール上は「全額返済してくれ」となる。

真面目な人ほどこういう事態を真に受ける。

全額返済できるなら金は借りないわけで、当然返せるはずもない。かといって仕事を続けるのはツラい。

こうなると「死ぬしか無い」みたいな発想になる。というかなった。

自己破産して借金をチャラにすればいいという人もいるけれど、そんな考えに至らなかったり、そこまでするなら死んだほうがマシと考える人もいる。

「返りた金は返すのが当たり前」という大前提で考えた場合、死んだら返済は出来ないから借金を苦に死んではいけない。けれど、精神的に追い込まれた人にとって、死は最後の逃げ道だと思ってしまう。こうなると理屈では解決できない。正論も通じない。ある種の精神論みたいな世界だと思う。でも精神的にまいっているので精神論も通じない。

どうにもならない

どうにもならない状態になると「なんとかなる」という言葉も耳に入らなくなる。誰かが背中を押してあげないと動けなくなる。

こんなときに助けになるのは身近な人の後押しだ。

こうしなさい

「いま仕事をしてない。職もみつからない。このままでは路上生活です。なんとか助けてくれませんか。」

5年ぶりくらいに前職の後輩から突然こんな電話がきたことがある。まだ20代の男だ。

詳しく話を聞くと、両親は健在で近くに住んでいるが、仲が悪いため頼る気になれないとか。本人は車も所有しているという。

アホか。と思ったけどそれは言わなかった。きっと彼なりに悩んでいるのだろう。生きる価値観は人によってこうも違うものかと思った。

まずは車を売却することと、両親と話し合って経済的な支援をお願いすることを強く勧めた。それでもどうにもならなければまた連絡をしなさいと伝えた。

「僕がどうなっても関係ないですもんね」

彼の最後のセリフだった。

どうでもいい人間と2時間以上話をするほどヒマではないし、私がどうにかできる問題でもないし、車は手放したくないけど路上生活になるから助けてくれという話がそもそもおかしい。けれど、やるべきことを見失っていたんだろうと思う。車を売るという発想すらできないくらいに。だからやるべきことをだけ伝えた。その後、連絡はない。

私の知人には、弁護士に相談して人生を立て直している人もいる。その人は悪い人に騙されて多額の借金をして自己破産した。いまは返済計画を立て直して、毎月わずかな額の返済をしている。弁護士から「こうしなさい」と指導をもらえたから、自分がなにをするべきか道筋が見えた。

なにをするべきか

これが見えなくなった人には、具体的なアドバイスがなければ改善は難しいと思う。行き詰まった人の目は盲目だ。手を引いてあげる人がいなければ歩き出せない。

「なんとかなる」といっても、どこへ行けば良いのかわからないのだと思う。

「なんとかなる」という言葉が悪だとは思わない。でも直接関わる人は、是非具体的な行動の指針をアドバイスしてほしい。これは私が悩んでいるときにも思ったことだ。

「こうしなさい」と言ってもらえたら、どんなに助かっただろう。

そのままではなんともならない

会社に問題があるのなら会社を変えるのがスジだと思うけれど、実際にはそう簡単にはいかないのが現実だったりする。理想論を語るのは簡単。けれど、誰がやってくれるのか。疲弊した当事者には無理があるし、まわりの人間もどこまでできるか。

会社を変えられなければ自分が変わるしかない。

そこで辞めるという選択肢が出て来るのだけれど、辞めたところで転職などできるだろうかという不安が出てくる。新卒が就職するのも厳しい時代に、強みとなる技術や経験を積んでない人は転職できる自信がない。借金の問題を抱えている人ならなおさら不安だ。いままで積み上げたキャリアを失う喪失感から会社にしがみつく人もいるだろう。

ここで大切なのは価値観の転換だと思う。

生活レベルや生き方を変える。この踏ん切りがつかないと「車は手放したくないけど貧乏」みたいなおかしな状態になる。

まわりの冷静な人間ほど、このおかしな状態がよく見えている。だから仕事で苦労している人にも「辞めればいいのに」とか言う。

価値観の転換をすれば、他にも生きる術があるかもしれない。進むべき道筋が見えるかもしれない。

そのままではなんともならないのであれば、進むべき行き先を変える。そのために道を変える。それが正しい順序だと思う。「辞める」は手段だから、まずは目的を示す必要がある。

一般論として外野の人が「辞めればいいのに」と言うのは自由なのだけれど。身近な人が気安く使ってはいけない。というか意味がない気がする。アドバイスの順序が違うから。

自己破産した知人は、弁護士に「こうしなさい」と指導してもらった。そこには将来どうなるか、という計画があった。その結果、慎ましくも、わずかながらも楽しみを見つけて生きている。そんな姿をみていると、人生の再起は可能なんだなと感じる。

しかし、他人から「なんとかなる」という話を聞いただけで、そこまで再起できただろうか。と疑問に思う。明日をどう生きたら良いのかもわからない人に、この言葉は意味があるのだろうか。

困っている人には具体的にどうしたらいいのか、何をしたら良いのか道筋を示してあげられたら良いと思う。「なんとかなる」ではなく「こうしなさい」と強く突き動かす言葉が必要な気がする。

さいごに

「なんとかなる」という言葉がダメと言うわけではないのだけれど、当事者の身近な人がこの言葉だけを投げかけていたら意味がないかなと。仕事を辞めるという大きな問題にはちょっとどうかなと思う。

行き詰まった人には、具体的な行動をプッシュするアドバイスがあったら良いなと思ったから。

では何が言えるかといえば、それはまた難しい問題なのはたしか。簡単には答えが出ないかもしれないけれど、もしも友達が困っていたら、どこへ向かうべきか、そのためには何をするべきか、一緒になって「なんとかしよう」と考えてあげたい。

それではまた。

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ケンちです。約20年ほど写真業界にいました。いまはIT系企業で主にITとは関係ない仕事をしている普通の人です。Twitterによく出没しています。