モノが無いとスッキリする。
片付けで仕事や生活が改善される。
それは本当だと思う。
思うけど、ミニマリストが推進する断捨離は、なんか違うんじゃない?って思うときもあります。
断捨離を要求しないで!
家でも職場でもたまにあるんだけど
「それ、いるの?」
と聞かれることがあるんですよ。
整理整頓ができてない散らかった状態なら、言われても仕方ないかなとは思います。でも整理整頓ができていても、さらに断捨離を進めようとすると、整頓されたモノにも要・不要の判断を迫られたりします。
『不要なモノは捨てる』というのが片付けの原則だというのはわかるし、整理整頓の『整理』は不要なモノを捨てることが基本だと思う。
でも「いるの?」って聞かれると、捨てなきゃいけない強迫観念がうまれるんですよ。なにか責められているような、怒られているような。そんな感じ。
片付けの本とかを読んでいると、モノの必要性を計る指針みたいなものが書いてあるんですよね。1年以上使わないものとか、使う予定がなくて買えば手に入るモノとかは捨てても良いみたいな。
そういうルールで自分のモノを捨てるのはいいんだけど、そのルールを他人に要求するのはどうかと思うんですよ。
でも捨てないと「片付かない」と言われてしまいそうで、なんだか怖い。片付けができない自分が人として劣っているような、なんだか寂しい気持ちになる。
片付けの大切さはわかるんです。
でも捨てる判断は持ち主が自分のルールで決めることだと思うんです。指針を参考にするのはいいけど、それがすべてじゃないと思うんです。
あなたの判断基準では不要なモノかもしれないけれど、それはあなたの基準だから。私の基準じゃないから。
あとね、モノが無いとスッキリして気持ちいいって感覚。これも感覚的には理解できるんだけど、だからといってモノを捨てればいいってことではないと思うんですよ。
ミニマリストが好むモノが無い(少ない)生活に魅力を感じる人はそうすればいいと思うし、シンプルな暮らしという生活スタイルがあるのはべつに構わないんです。
でも、たまに「捨てることに固執してるミニマリスト」っているんですけど、こういう人って、もしかしたら整頓がヘタなだけなんじゃないのかなと思うときがあります。あ、会社にいるんですけどね。
その人はバッサバッサとモノを捨てるんです。他人にも捨てさせるんです。
そういう人って、捨てることでモノを減らして、苦手な整頓から逃げてるんじゃないかなと思うことがあるんですよ。モノが少なければ整頓が楽ですから。もちろんミニマリスト全員がそうだと言ってるんじゃないですよ。そういう人もいるんじゃないかと。
一人暮らしの自分の部屋でやるのはいいんです。でも家族がいる家庭や多くの人が働く会社でこれをやられると困るんです。
整頓ができない人の片付けに巻き込まれると悲惨な結果になるんです。本人は気付いてないみたいだけど。
整理より整頓
先にも書いたけど、『整理』は不要なモノを捨てるのが基本だと思います。
『整頓』は文字通り『整える』ことです。
整頓が上手な人は、モノがたくさんあっても散らないんですよ。
例えばたくさんの工具や部品を使う仕事の場合、モノの量が多いけれど、整頓がキチンとできていれば雑然としません。モノがたくさんあっても片付けはできるんです。
で、さきほど紹介したバッサバッサとモノを捨てる人のパソコンを見たら、デスクトップにアイコンがたくさんあるんですよ。20個くらいかな。それを見たときに「ああ、整頓はできないんだな…」と思ったんです。
ちなみに私は基本的にデスクトップにはアイコンをひとつも置きません。作業をするときは置くけど、作業が終わったら片付けます。デスクトップも作業スペースなのでモノ(アイコン)を出しっぱなしにはしません。
話がそれました。
繰り返すけど「不要なモノは捨てる」と言ったときに「何が不要か」が問題になるんだけど、それは持ち主が、持ち主の基準で決めることだと思うんです。
あ、ここで言いたいのは、その持ち主が持ち続けていたモノのことですよ。
例え「そんなモノ捨てちゃいないヨ」と言いたくなるようなモノでも、それは持ち主のモノだから、他人が捨てる要求を出してはいけないと思うんです。「いるの?」みたいな。
こんなことを言うと「それを片付けるのは私だ!」と怒り出す人もいそうだけれど、そこは話し合って上手に決めてほしいです。そのときに「いるの?」とか「使うの?」とは聞かないで。それ、脅迫に近いものがありますから。
持ち主が取っておきたいと言ったら、どうやって整頓するか考えてみて欲しいです。
持ち主が持ち続けていたモノは、何か意味があるのかもしれませんよ。でも、「いるの?」と迫られたり「捨てて」などと言われたら、そのモノを持ち続けている意味を持ち主が上手に説明できないと「捨てさせられる」ことになりかねません。
持ち主自身が、そのモノの大切さの意味を見いだせなくても「捨てさせられる」感情が生まれると厄介です。こうなるとモノの問題じゃなくて感情の問題になるからです。
整頓が出来ない人は必要なモノも捨てる
さきほど「整頓ができない人の片付けに巻き込まれると悲惨な結果になるんです。」と書きました。
その悲惨な結果とは「必要なモノを捨てる」ということです。
必要性の判断は難しいです。特に他人のモノは。
片付けのプロとかアドバイザーのような人が、独自の判断基準でモノを捨てさせたりしているのを見ると心配になります。
そのときは持ち主もスッキリして気持ちいいかもしれないけれど、後になって後悔してないかな。とかね。
「後悔してます」なんてきっと言いませんよ。捨てられない人は、意思が弱い(ハッキリ言えない)人が多いですから。(私の印象では)
必要なモノ
その人にとって必要なモノ
他人のモノの必要性を決めるのは難しい。
ゴミみたいなモノに大切な思い出が染み込んでいることもあります。それは他人にはなかなかわかりません。
そう考えると、無理やり整理(捨てる)で片付けるのではなく、整頓で片付ける方法を考えることも大切なんじゃないかなと思います。
持ち主に「捨てさせられた」と思われたら大失敗ですよ。
モノが無い生活を良しとする考えは誰にでもあてはまることではないんです。
さいごに
実家で親と暮らしている知り合いが10年ほど使ってない洗濯機を持っているんですよ。以前、一人暮らしをしていたときに買ったらしいんです。さすがにそれはいらないだろうと思ったんですよ。
で、なんでそんなモノを持ち続けているのか聞いたらこう答えました。
「また一人暮らしを始めたい。そのとき、この洗濯機を使うつもり。使い物にならないだろうけど、手放したらもう一人暮らしは出来ない気がして…」
どう見てもゴミなんですけどね。
「邪魔だから捨てちゃいなよ」とか「必要なときに買えばいいじゃん」と言ってたことを反省しました。
他人のモノの意味は、片付けの基準では計れないこともあるようです。
それではまた。