考え方として素晴らしいことでも、他人に使うべきではない言葉ってあると思います。
自分が頑張るのは当たり前
この言葉もそうだと思います。
あいさつで使う人
新しいコトにチャレンジするときに「頑張ります!」という人がいます。まあよく聞きます。で、まわりにいる人や先輩などは「頑張ってね!」なんて言ったりします。
あいさつの締めくくりに「頑張ります」を使う人は多いですよね。
私もそんな人には「頑張りなっせ」と思うんだけど、ときおりこんなことを言う人がいます。本人には言わないパターンが多いですが…
自分が頑張るのは当たり前じゃん
うん。いや。まあ。そうなんだけどね。
でもそれ、ひとに言うことじゃないと思うよ。
「頑張るのは当たり前」まではいい
『心構え』や『こころざし』として、「自分が頑張るのは当たり前」という考え方を持つのは良いです。その考え方を誰かに伝えたり、後輩に教えるのも良いです。でも、頑張ろうとしている人、頑張っている人に使う言葉ではないと思います。
自分では当たり前という心構えでも、自分自身に使うことだってありますよね。キツい局面でゴールが見えてきたときは「よし!もう少し頑張ろう!」と思ったりします。
もしも、自分自身に使ったときに、他人から「頑張るのは当たり前でしょ」なんて言われたらガッカリです。頑張る気力も失せます。シラケます。
勉強しようと思ったところに、母親から「勉強しなさい」と言われるようなものです。本当に勉強しようと思ってたかどうかは怪しいんだけど、やる気は失せます。
他人に「頑張るのは当たり前」と言うのは、これと同じように、やる気をなくさせる効果があるんじゃないかな。
他人に寛容になろうよ
『自分の当たり前』は『他人にも当たり前』ではないですよね。いろいろな考え方があるし、自分自身も状況によって、日頃は『当たり前』と思っていることと違うことをするときもあります。
あいさつの締めくくりで「頑張ります」と言ってるひとがいたら「頑張ってね」でいいと思います。
自分はそんな当たり前のことは言わない。という考え方でも構いません。でもそれは、あなたの考え方。他人にあてはめることではないです。ただ違うだけであって、どちらが上でも下でもないと思います。
なぜなら「自分が頑張るのは当たり前」というのは『思想』だと思うからです。思想は他人にあてはめるものではありません。
思想を他人に押し付けると、エゴイストになりかねません。自分では良いと思っていることでも、使い方を間違えると他人には迷惑となることもあります。そうならないために、他人には寛容でありたいものです。
さいごに
「頑張る」は他人に使う言葉であって、自分に使う言葉ではない。という考え方は素晴らしいです。私も基本的にはこの考え方には賛同します。
でも絶対的な、誰にでも当てはまる考え方ではない。という気がします。
他人や弱ったときの自分にまで課すほどでもないかなと。
いいじゃん。「頑張ります」って言っても。
もっと気楽に生きようよ。
それではまた。