12月に思うこと。
この季節だから思うこと。
わずかなきっかけが奇跡を起こす
自分がこの世に生まれたことは奇跡だと思う。
それは人によって受け止め方が違うだろうけれど、偶然と言ってしまえばそれだけなのだけれど。
でも偶然の積み重ねが奇跡を起こしたような気がする。
親の出会いも奇跡なら、子の誕生も奇跡だ。
偶然の積み重ねかもしれない。
その偶然の、ふとした思いつきの行動が運命を変えることもある。
例えば、趣味で始めたことで新たな人と出会い、そこで出会った人と結婚したのならば、それはひとつの奇跡だと思う。
そのきっかけはテレビで偶然見たことだとしても。そのわずかなきっかけが運命を変える。
偶然と言えばそれまでだけれど、少なくとも必然ではないと思う。
ならば奇跡と呼んでもいいのではないだろうか。
奇跡に満足できなくなる
人は奇跡に慣れる。
人は何にでも慣れる。
慣れると粗雑に扱う。
例え奇跡でも。
出会った頃は幸せだったカップルも、時間が経つと喧嘩をして別れたりする。夫婦になってもいがみ合ったりする。
奇跡的な出会いだったはずなのに。
奇跡に感謝することを忘れてしまう。
もう起こらないかもしれないのに。
奇跡を大切にしなくなる。
奇跡なのに。
望んで手に入るものではないのに。
望めば奇跡がまた起きると思ってしまう。
クリスマス
クリスマスというイベントを楽しむ人たちがいる。
パーティーをしたり特別な人にプレゼントを贈ったりする。
このとき奇跡は起きる。
日常とは違う時間。
日常とは違う空気。
日常とは違う言葉。
偶然でも必然でもない出来事が奇跡を起こす。
それはすべての人に分け隔てなく訪れるものではないけれど、確実にどこかで起きている。
当然の奇跡。
奇跡なのに当然。
奇跡はどこにでも当然に存在する。
そのときだけは奇跡に感謝する。
サンタクロースのプレゼントに満足するか
いやいや、そんなものは奇跡でもなんでもない。
そう思うのならば、サンタクロースが現れて、プレゼントをくれたとしても、きっと満足しないでしょう。
いままでに積み重ねた奇跡に満足できないのなら、その欲が尽きないのなら、どんな奇跡が起こっても、さらなる奇跡を求めるでしょう。
奇跡に慣れてしまう人は、サンタクロースをジッと見つめてこう言うかもしれない。
「欲しいモノはこれじゃない」
欲が深くなると奇跡に慣れる。
例えサンタクロースが表れて、奇跡のプレゼントを贈っても。
もっと良いモノを。
もっと良い仕事を。
もっと良い友達を。
もっと良い家族を。
さいごに
目の前にある奇跡に気付こう。
その奇跡に感謝しよう。
忘れないようにしよう。
いまの自分があることの奇跡を。
ここにも奇跡が
クリスマスの今日、この記事を作家の村山早紀先生に読んでいただきました。
これは私にとって奇跡です。
自分が好きな著者にこの個人ブログを読んでいただけるなんて。
そして感想までいただけるなんて。
偶然の重なりの結果かもしれないけれど。
これはやはり奇跡だなぁと思います。
みなさまにも幸せな奇跡がありますように。
それではまた。